世界はどこまで青空なんだろう

沼から抜け出せない

夜ふかし出の矢花担爆誕から1年経って書くブログ

 

 

 

あの日、2021年2月9日の朝のことは今でも覚えている。

 

TLを追っていたらどのオタ垢のTLにも現自担がいて。面白半分であのインタビューの動画を開いたのがはじまりで、あっという間に担当を名乗る決意を固めることになるなんて。

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「月曜から夜ふかし出の矢花担」が誕生してからもう1年が経とうとしている。もう1年!?という気持ちでしかない。当の本人はまだ体感3ヶ月くらいだったりする。

 

 

今の率直な気持ちはというと、「熱しやすく冷めやすいわたしが熱したまま1年を迎えてる!!自担すごい!!!」です。今の自担2人体制*1になる前から私のことを知ってる人はわかると思うけれど、丸山くん以外の担当がま〜〜長続きしないこと。軽率にハマるけど飽きっぽい性格でして。そんな私をハマったときの熱量をほぼ落とさずにここまで来させている矢花くん!!!きみは天才だ!!

 

 

矢花くんに沼落ちしてからのこの1年、本当に充実していたし、本当に幸せでした。今回はそんな1年を少しばかり振り返ろうと思います。ただの隙自語でしかないのでご了承ください!*2

 

 

 

まず補足というか今だから言える話として、実は私矢花くんだけが唯一侍の中でよく分かっていなくて。いわば「消去法」での認識でしかなく。嶺亜は昔からいるからわかる、琳寧はSASUKE、本髙はクイズ、大光はドラム、こんぴは友人が顔が好きと言ってた…という認識でそのどれでもないのが矢花、みたいな。暴れてる?音大生?ということは知ってたけどちゃんとはわからなくて、琳寧と間違って覚えてた時期もあったり。ただ、矢花=7 MEN 侍という認識はあって、20年春に目黒くんと一緒に出てたトリニクをみたとき*3にJr.に詳しくない家族に「矢花って誰?」って聞かれて「7 MEN 侍だよ〜」と答えた記憶はあったり。そんなぼんやりとした、とりわけ気にしていたわけでもなかった人が突然視界に入ってきて。

 

あの沼落ちブログでは友人との鑑賞会で’19年サマステを見て完落ちしたみたいに書いたけど今思えば「職業:ジャニーズの男性です。」を見た後からもうすごい勢いで落ちてたと思う。弟よりも年下に落ちたことを頑なに認めようとしなかっただけで。認めたのがその鑑賞会の日だったというだけで。

あと沼落ちブログが千バズしたことには驚きました。軽く友達探しがてら書くか〜みたいなそんな気持ちだったので。それとバズる弊害だけど、古参ぽいオタクにミーハーとか○○担*4怖いみたいに書かれてるのを見つけたときはネット怖ぇ〜〜〜ってなりましたね(笑)大半の反応は夜ふかし出面白いみたいな感じでしたが!

 

 

担当と認めてから4月頃まではとにかくの新規ハイの時期で見るもの全てがひたすらにメロくて。この頃は過去のYouTubeとISLAND TVを片っ端から順番に見ていて毎日退勤後に動画を見るのを楽しみに日々生きていました。新しい知識を得ることが本当に本当に楽しかった!

 

 

ついに自担をこの目で見たのが5月のクリエ。幕が開いたあの瞬間の気持ちは忘れられないし、忘れたくもないですね。これまでのオタク人生、好きになった人を初めて生で見る直前に「思ってたのと違ったらどうしよう」って何度も思ったし、今回ももれなく思ったけれども、矢花くんは私の期待を全く裏切らなくて、世界一かっこよくてかわいい20歳(当時)のアイドルでした。生きてて良かった。

 

6月はモボ一択。2週連続の遠征も、初日も楽にも入るのも人生で初めてだったし、そんなことをしてしまうくらい大好きな自担に出会えたことも嬉しかった。初日の終盤声を枯らしてしまった自担を見たことも、楽のカテコで「座長とは思っていない」と言うどこまでも謙虚な自担を見たことも大切な思い出になりました。座席についた瞬間興奮して足がつったり、FFと出会い厨したり、FFに自担のモノマネ披露したり(私信)、あの1週間強は今思い出しても充実していたなあ。それと人生で初めて最前という席が当たったのも思い出を語る上で外せなくて。本当に最前という席は存在するんだと思ったし、自担はたった2〜3m先で生きていた。ジャニオタになってから10年以上経つけれどもこのタイミングで最前を引けるあたりもう運命ってことでいいよね!?生きてて良かった(2回目)。

 

 

(○月は〜と書きながらジャニアイみをここで感じています。)

 

 

7月はサマステ、8月は自担の誕生日を祝って、9月はドリボ…と夏も充実した日々を過ごし。特にドリボは初めて自分の誕生日公演に入って、誕生日に自担を拝めた嬉しさ98%、20代半ばにもなって誕生日に1人東京まで出てきて何やってんだろう…という気持ち2%を抱えていました(自虐)。

 

 

時系列ぐちゃぐちゃだけどもオタ垢で積極的に何かを発信するというのも長いジャニオタ人生で初めてで。夏頃からでしょうか、アンケート厨の爆誕です。何回か燃えそうになったり()、企画が不発に終わったり、逆に思いもよらず伸びたり、小規模な垢だけどYouTuberの気持ちが少しだけ分かった気がする。アンケート→結果をブログにまとめるという行為を始めたのは、単純に矢花くん、そして7 MEN 侍の知名度向上につながればいいなと思ったから。ツイートが伸びると他担のツイートがTLに流れてくることってあるじゃないですか。中々難しい話だけど私が目指すところはそこですね〜。最近はネタが思いつかなくてできていないのですが面白そうなのが思いついたらやりたいなと思っています。

それとこれまでグッズ・写真類は1つあれば十分というスタンスのオタクだった私が複数買いをするようになったのも、雑誌のハガキを書くようになったのも初めてで。やらされてる感は全くなくてむしろ積極的にそうしよう、そうしたいと彼を応援していると思うんですよね。自担って天才だなあ。

 

 

秋は矢花くんの現場はなくて、元担Gの現場に行ったり*5、エイトの現場に行ったりしたけれども、(掛け持ちのエイトはともかく)元担Gの現場中でも常に頭の片隅に矢花くんはいて、この演出を矢花くんがやったらな〜こんな歌を歌ったらな〜と考えていて。元担Gの現場に行く前に「見て出戻りたくなったらどうしよう…」って正直思ったけど杞憂でした。現場がなかった分冷静に、でも確実に「私は矢花くんのオタクなんだな」と感じられた期間でした。

 

 

地元には雪が降ってまた冬が来て。21年の現場納めと22年の現場始め*6が矢花くんの現場になるなんて、21年の1月には微塵も思っていなかった。これを書いている今はオミクロン株が大流行していてジャニアイも途中から中止になり…。22年の現場がどうなるか全くわからない状況になりつつあるけれども、自分の行ける範囲で、今年も矢花くんを拝みに行きたいと思う。

 

 

1年が経って、原点となった夜ふかしのインタビューの動画を見返しました。今見ても最高に面白くて、少なくとも北海道某市(私の在住の市)の中では未だに一番面白がってる自信しかないです。*7他にも先述した「職業:ジャニーズの男性です。」とか夜ふかしの週のYouTube「矢花にバレずにコスプレ!」も見返して。あのとき矢花担になるのは避けられないことだったなあと改めて実感しています。あと!先日2月4日更新のYouTube矢花にバレずに早弁大会」、ほぼ1年経った今、似たような内容の企画をやるなんてやっぱり運命じゃん。

 

 

 

もしかしたらこれを読んでいるかもしれない矢花くんへ。あなたのオタクになれて本当に毎日生きるのが楽しくて、大きなことだと矢花くんの現場に行くことを楽しみに、小さなことだと「明日矢花くんが載る雑誌が発売されるから頑張ろう!」とか「明日は水バナだから頑張ろう」とか思って毎日仕事に行く原動力になっています。この世に生きていてくれてありがとう。そしてあの時夜ふかしのインタビューに出ようと思ってくれてありがとう。あなたの沼に落ちることができて本当に幸せです。私のやれる範囲は限られているけれども、どうかこれからも応援させてください。

 

 

 

1年、まずは一区切り。ドドド新規からド新規くらいにはなれたかな。これからも毎年2月はツイートでは振り返ると思うけれど次長文ブログを書くのは5年経ったときかな〜と個人的に思ってます。毎年長文ブログは重い(笑)

ということで矢花くんがただただ好きなだけのちっぽけなオタクですが今後とも宜しくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

*1:矢花黎・丸山隆平

*2:厳密に言えば1年は経ってるか微妙で、担当だと認めた日は2月13日なんだけども、私にとっては2月9日の朝に受けた衝撃が何よりも大きいので9日をもって1年ということで

*3:当時⛄️担だったのでね

*4:当時の担当G名の組み合わせ

*5:なぜ降りたのに行ったんだと叩かないでくださいな…友人がオタク続けてるのと今まで遠征していたそのGが初めて地元にきたのでね…ゆるしてな…

*6:ジャニ伝とジャニアイ

*7:というかリアルに市内に矢花担自分しかいないのではと思っています。札幌の近くです。いたら出会いたい😂