世界はどこまで青空なんだろう

沼から抜け出せない

しがないジャニオタが地震に遭った

 

北海道で9月6日に大きな地震がありました。私の住む地域は震度5強を観測し、家は倒壊しなかったものの、約1日半停電していました。北海道の私の住む地域は日本の中ではあまり地震が多い方ではなく、21年生きてきて、震度5強というのは経験したことのない揺れでした。私よりももっと大変な思いをされている方はたくさんいます。なのでこんな私がこのブログを残すのは恐縮ですが、震災を経験した者として、今までの出来事と感じたことをまとめます。

 

地震が起きるまでのこと。

5日の未明に北海道地方に台風21号が通過し、夜は台風に慣れていない北海道民にしては激しい雨と風であまり眠れていませんでした。なので私は5日の昼間に寝ていたため、眠くもなく、次の日バイトもなかったので夜更かしをして、オタ垢で呑気に「リアコがたくさんいる〜はてなブログ書きたい」(雰囲気)と呟いて、6日の午前2時頃就寝しました。

 

 

地震発生。

私が寝てから僅か1時間後のことでした。経験したことのない激しい揺れに目が覚めました。反射的にこの揺れはやばい、と思い勉強机の下にとっさに潜り込みました。私の家はお世辞にも新しい家ではないので、机の下に潜りながらこのまま家が潰れて死ぬんだと思いました。どれくらい揺れていたのでしょうか。動揺していたので覚えていません。揺れがおさまっても、かつてない揺れに私は机の下で固まってしまいました。すると、隣の部屋にいた弟がドアを開け、「(本名)! 大丈夫か!」と来てくれました。弟が来てくれてハッと我に帰りました。

1階のリビングに降りると、もちろん両親も起きていて、あわててNHKをつけました。安平で震度6強。只事じゃないと思いました。そして私の住む地域は震度5強。北海道生まれ、北海道育ちの両親ですら初めて経験する揺れでした。その後余震が起き、これだけ大きい地震だから起きるよなと思いました。そしてテレビ、電気が消えました。停電です。ラジオとスマホで情報を得ることに切り替えました。私の住んでいる地域以外の震度も知り、震源地に比較的近い市に叔父・叔母、従兄弟家族、高齢で施設に入る祖母がいるので無事かどうかとても不安でした。時系列が定かではありませんが、その後叔父から連絡があり全員の無事を知りました。

 

家にあるだけの懐中電灯や電池で点くライトをリビングに集めました。私も部屋にあったペンライトを持っていきました。幸い、懐中電灯やライトで数が足りたのでペンライトの出番はありませんでしたが、数が多いというだけで安心感がありました。ラジオで流れる停電の情報。ほぼ全道でやられていることを知りました。その中で続く余震。暗くまだわからない被害の全容。不安しかありませんでした。まさかこんな大地震が北海道で起きるなんて。日本各地で震災が起きるたびに、私はどこか他人事でした。北海道は地震が少ないから、と。地震大国の日本に住んでいる以上、他人事ではないと痛いほどわかりました。

 

夜が明けて、母と弟が外に出て家に損傷がないか確かめていました。幸い、見てわかる損傷はなく安心した一方、家の近くの信号機が点いておらず、本当に停電しているんだと感じました。ラジオでは徐々に伝えられていく被害の状況。厚真で大規模な土砂崩れ。しかも震度が分からない。札幌で液状化現象。明るくなって被害がわかることが怖かったです。朝食はガスが使えたので前の日の夕食のおかずの残りを温めて食べました。その後、家でテレビが見られないものの、車のワンセグで見ることができたので7時台に各局のニュースを見ました。信じられない光景が広がっていました。また、ツイッターで父の職場近くで道路が一部陥没している写真も見つけました。父はこの日昼から仕事で、車通勤なので信号機も付いていない状態で、しかも道路の状態も良くなくて、出勤して大丈夫なの?と思いました。10時頃になって母が自転車で近所の様子を見に行きました。たまたまコンビニが開いていて、少しの飲料と菓子パンのようなもの、カットフルーツを買って来ました。普段あまり混んでいないそのコンビニが、レジで並ぶほど混んでいたそうです。その後私は寝てしまいます。よくよく考えると地震が起きるまでの睡眠時間は1時間ほど。2時間半ほどは眠れたでしょうか。起きると父は出勤していて、やっぱり行ったのかと。父は強い感じではないけど、やっぱり心強い存在。定時だと帰ってくるのは22時頃。父は今の時代では珍しく携帯・スマホを持っていないので、無事に職場に着けるのか、街灯も信号もついてない真っ暗な中で無事に帰って来られるのかとても不安でした。

 

午後は弟がトランプやウノ、花札を出してきたので母と私と弟の3人で時間つぶしに遊びました。またこのあたりからスマホの電波がかなり繋がりにくく、情報源はラジオだけでした。その後15時頃だったでしょうか。弟がたまたま繋がったスマホで市内の別の地区の電気が復旧したらしいという情報を得ました。そこで自転車でその地区の様子を見に行くと出かけました。この時も少し不安でした。弟もいないとなると、家には私と母の2人だけ。女だけは怖かった。弟が出ている間、私は家にある食料のリストを作っていました。幸いにも、乾麺やカップ麺が沢山あったので安心しました。また、優先して食べなければいけないものの順位づけもしていました。そうこうしているうちに、母の携帯に弟から電話が。市内のある通りより北側の信号がついていること。電波も通じること。ガソスタで長蛇の列ができていること。開いているコンビニの混雑。他地区の情報を沢山知ることができました。弟は穴場の自販機を教えてくれて、そこで水を手に入れられたことも良かったです。私の家から自転車で30分ほどの場所に弟は行っていたので帰ってきたときはホッとしました。

17時半頃だったと思います。なんと父が帰宅。父の職場も停電かつ断水で仕事にならないからと帰ってきました。日没前に父が帰ってきて安心しました。父に今までに得た情報を話して、他地区だとスマホの電波が繋がることを話すと、じゃあ車で行くか、と。母は夕食の準備のため家に残り、父と私と弟の3人で他地区方面に向かいました。私は地震が起きてから初めての外出。信号の点いていない交差点を通るのは怖かったです。そして弟の言うように、ある通りを越えると信号が点いていました。同時に電波も復活。ラインを返信したり、ツイッターを開いたりしました。オタ垢のフォロワーさんから無事ですか?というリプをいくつか頂いており、嬉しかったです。弟が自転車で行った穴場という自販機に再度行き、追加で水とお茶を数本手に入れました。道中では行列のガソスタ。混雑しているコンビニ。弟が言っていた光景を自分の目で見ました。家に帰る頃には日没。やはりある通りまでは街灯も信号も点いていましたが、そこを越えると真っ暗。普段通り慣れている場所なはずなのに、どこを走っているのか、どこで曲がれば良いのか一瞬わからなくなる暗さでした。無事家に着いて空を見上げるとたくさんの星が見えました。普段は明るい星しか見えません。こんなに星ってあるんだなと思いました。

夕食は冷凍庫に入れて解けかかっていた肉をキャベツと一緒に焼いたもの、残りご飯のチャーハン、塩もみきゅうり、味噌汁でした。早く食べた方が良いものの寄せ集めでしたが、ガスと水道が大丈夫だったおかげで普通のご飯を食べることができました。ライトのみの暗い中でのご飯。家族全員揃って食べることができてよかったです。

夕食後は何もすることがありませんでした。暗いのでまあ無理やり本は読めなくもないけどそういう気分にもなりません。スマホはほぼ不通だったのでラジオを聴きながら家族でなんとなく会話する感じでした。もちろんお風呂も入ることができないので、体拭きで拭きました。その日私の住む地域は汗をかくほどの暑さではなかったのが幸いです。やることもなくて、21時半頃にはそれぞれ寝室に行きました。枕元にはリュックや靴下、ライト、ラジオを置き、机の下にすぐ入れるよう机の椅子をよけておきました。ラジオをつけたまま寝ようとしましたが、なかなか眠れません。睡眠不足なはずなのに。寝かかっても余震で目が覚めの繰り返しでした。結局24時まで眠れずに、ラジオは桐山照史くんと中間淳太くんのレコメンが始まっていました。照史くんが「今大変なことがたくさんありますが、僕たちは普段通りやって楽しんでもらいたい」(ざっくりです)ということを言っていて救われました。レコメン中もウトウトしていましたが、エイトの「ここに」が流れてこれも救われました。スマホに音楽を入れていますが、充電が減ってしまうのでエイトやキンプリ*1の曲を聞けていませんでした。レコメンでだいぶ心が落ち着いたからか、徐々に眠くなっていき、何度か余震で目が覚めたものの、どうにか合計5時間ほどは眠れたかと思います。

 

 

9月7日朝からのこと。

朝食は残っていた焼きそばの生麺をサラダチキンと一緒に炒めて食べたのと、解けかっていた冷食の焼きおにぎりをフライパンで蒸し焼きにして食べました。焼きおにぎりはプライパン調理を想定してないものでしが、美味しく食べることができました。そして午前中はスマホの通信環境を求めるのも兼ねて買い物に出ました。まず、ドラッグストアとスーパーが隣接しているところに行きました。そこでは、停電の為店には入れず、店先で買い物をするという形式でした。ドラッグストアの方は風除室で必要なものを店員さんに言い、店員さんに持ってきてもらって会計するという形式でした。スーパーの方は売られているものがかなり限られており、飲み物とバナナ、カップ麺を買うことができました。個数制限もありました。次に市内の某駅前にあるスーパーに行きました。そこは、JR運休により駅前にあまり人が来ないため穴場でした。とはいえ、商品はそう多くはありません。アイスや冷食のコーナーは一同解凍されてしまったので割引の値段で販売されていました。道中、相変わらずガソスタは行列。ひどいところだと列は数百メートルになっているところもありました。幸い、父が地震前にたまたまガソリンを入れていて、通勤で少しは減っていましたが急を要していませんでした。ただ、いつ停電が終わるかわからない不安から、父もできれば給油したいと言っていました。買い物から帰ってきてお昼はパスタを茹でたのと、冷凍のハンバーグがかなり解けていたのでじっくり焼いて食べました。冷凍のものを食べることに追われている感じです。

夕方、父が車のテレビを見に行ったので私も行き一緒にテレビを見ていると、弟もやってきて「これから自転車で(電波のために)○○(他地区名)行く」と言いました。すると、父が「じゃあ車で行くか」ということで3人で急遽出発。ある交差点についたところでまた行列が。なんと停電している私の住む地区のガソスタが開いていたのです。最後尾まで走ると、他地区で見たガソスタの列よりも短かったので並ぶことにしました。流れも良く、15分ほどで給油することができました。給油にも制限があり1台2000円まででした。その後他地区まで走りラインを返信して、日没前に家に帰りました。徐々に復旧しているところが増えているという情報も入る中、どうしてこの辺りはまだなのか、市内の地区は復旧してるのに、と仕方のないことだとはわかっているけど思ってしまいました。7日の夕食は冷凍のホッケ、卵焼き、鍋で炊いたご飯、味噌汁でした。鍋で炊いたご飯が思いのほか美味しかったです。この日の夜も何もすることがなくて、なんとなく会話をしてちょこちょこ寝る準備をしていたところでした。外を見ると光が。弟が外に出て、「街灯も信号も点いてる!」と。プラグに異常がないかを確かめて、ブレーカーをあげました。部屋の電気がつきました。21時頃のことでした。ほぼ同時にスマホの回線も復活。ホッとしました。見れていなかったラインやツイッターのTLを確認しました。久しぶりにオタ垢も見れて自担たちの情報をこれでもかと知れたり、ジャニーズwebをゆっくり読んだりしました。そしてお風呂にも入れました。お湯に浸かれて疲れも少しだけ取れた気がします。電気の有難さを実感しました。リビングのテレビも見れて、まだまだ大変な思いをされている方がたくさんいると改めて気づきました。あと意外と気になったのが、ACジャパンのCMの多さです。おそらく企業がCMを自粛した分がACジャパンに差し替えになったと思うのですが、あんまり自粛しすぎるのも、被災地の人にとっては暗い気持ちになりしんどいのではないかと思いました。今までも震災が起きると自粛しすぎるのは良くないという意見を見たことがあります。自分が地震に遭うまでは特にそのことについて考えたことはありませんでしたが、今このような現実に直面して、やはり過剰な自粛はあまり良いものではないと個人的に感じています。

 

地震発生から停電復旧までのことをまとめました。長いですね。ここまで読んでくれてありがとうございます。もう少しだけ書かせてください。次からはこの地震で得たこと、伝えたいことをまとめます。

 

①日頃からの備えを大切にしよう!

地震は今のところ予知できませんし、いつどこで起きるかわかりません。家具の固定や懐中電灯(ペンライトも役に立ちます)、電池、ラジオ、日持ちする食料の用意が大切です。また近くの避難所を知っておくことも重要です。

 

②ラジオで情報を得よう!

テレビやスマホでも情報は得られますが、停電した場合や、回線がダメになった場合、使い物になりません。ラジオを普段聴く習慣がないという方も、災害時にはラジオがとても役に立ちます。

 

スマホの充電に気をつけよう!

充電を温存しましょう。通知オフや画面の明るさを暗くすること、低電力モードで充電の減りを遅くすることができます。それでも充電がいつかは切れてしまうのでモバイルバッテリーを用意しておきましょう。またノートパソコンや車でも充電できることがあります。日頃からノートパソコンを充電しておくといいと思います。

 

④デマに気をつけよう!

電気が復旧してからリア垢のTLを見るとやはりデマが流れていました。「自衛隊/NTT/北電の知り合いから聞いた話ですが〜」という言い回しのツイートにはお気をつけください。情報を拡散する際も出どころをしっかり確かめるようにしましょう。

 

 

伝えたいことはまだまだありますが、書ききれないので特に伝えたいことをピックアップしました。

私の住む市は品物不足があるもののライフラインは復旧し、今日(9月8日)は徐々に普通の生活に戻っています。しかし、まだまだ大変な思いをされている方が沢山います。そしてまだまだ余震も心配です。

 

 

自分の身に起きないと地震の怖さ、大変さはなかなか分からないと思います。自分もそうでした。それでも、このブログを読んでほんの少しでもいいから、地震について考えていただけたら私は嬉しいです。

 

 

*1:2021.2.25追記:当時一応オタクでした、今思えばただのミーハー