世界はどこまで青空なんだろう

沼から抜け出せない

しがないジャニオタが地震に遭った

 

北海道で9月6日に大きな地震がありました。私の住む地域は震度5強を観測し、家は倒壊しなかったものの、約1日半停電していました。北海道の私の住む地域は日本の中ではあまり地震が多い方ではなく、21年生きてきて、震度5強というのは経験したことのない揺れでした。私よりももっと大変な思いをされている方はたくさんいます。なのでこんな私がこのブログを残すのは恐縮ですが、震災を経験した者として、今までの出来事と感じたことをまとめます。

 

地震が起きるまでのこと。

5日の未明に北海道地方に台風21号が通過し、夜は台風に慣れていない北海道民にしては激しい雨と風であまり眠れていませんでした。なので私は5日の昼間に寝ていたため、眠くもなく、次の日バイトもなかったので夜更かしをして、オタ垢で呑気に「リアコがたくさんいる〜はてなブログ書きたい」(雰囲気)と呟いて、6日の午前2時頃就寝しました。

 

 

地震発生。

私が寝てから僅か1時間後のことでした。経験したことのない激しい揺れに目が覚めました。反射的にこの揺れはやばい、と思い勉強机の下にとっさに潜り込みました。私の家はお世辞にも新しい家ではないので、机の下に潜りながらこのまま家が潰れて死ぬんだと思いました。どれくらい揺れていたのでしょうか。動揺していたので覚えていません。揺れがおさまっても、かつてない揺れに私は机の下で固まってしまいました。すると、隣の部屋にいた弟がドアを開け、「(本名)! 大丈夫か!」と来てくれました。弟が来てくれてハッと我に帰りました。

1階のリビングに降りると、もちろん両親も起きていて、あわててNHKをつけました。安平で震度6強。只事じゃないと思いました。そして私の住む地域は震度5強。北海道生まれ、北海道育ちの両親ですら初めて経験する揺れでした。その後余震が起き、これだけ大きい地震だから起きるよなと思いました。そしてテレビ、電気が消えました。停電です。ラジオとスマホで情報を得ることに切り替えました。私の住んでいる地域以外の震度も知り、震源地に比較的近い市に叔父・叔母、従兄弟家族、高齢で施設に入る祖母がいるので無事かどうかとても不安でした。時系列が定かではありませんが、その後叔父から連絡があり全員の無事を知りました。

 

家にあるだけの懐中電灯や電池で点くライトをリビングに集めました。私も部屋にあったペンライトを持っていきました。幸い、懐中電灯やライトで数が足りたのでペンライトの出番はありませんでしたが、数が多いというだけで安心感がありました。ラジオで流れる停電の情報。ほぼ全道でやられていることを知りました。その中で続く余震。暗くまだわからない被害の全容。不安しかありませんでした。まさかこんな大地震が北海道で起きるなんて。日本各地で震災が起きるたびに、私はどこか他人事でした。北海道は地震が少ないから、と。地震大国の日本に住んでいる以上、他人事ではないと痛いほどわかりました。

 

夜が明けて、母と弟が外に出て家に損傷がないか確かめていました。幸い、見てわかる損傷はなく安心した一方、家の近くの信号機が点いておらず、本当に停電しているんだと感じました。ラジオでは徐々に伝えられていく被害の状況。厚真で大規模な土砂崩れ。しかも震度が分からない。札幌で液状化現象。明るくなって被害がわかることが怖かったです。朝食はガスが使えたので前の日の夕食のおかずの残りを温めて食べました。その後、家でテレビが見られないものの、車のワンセグで見ることができたので7時台に各局のニュースを見ました。信じられない光景が広がっていました。また、ツイッターで父の職場近くで道路が一部陥没している写真も見つけました。父はこの日昼から仕事で、車通勤なので信号機も付いていない状態で、しかも道路の状態も良くなくて、出勤して大丈夫なの?と思いました。10時頃になって母が自転車で近所の様子を見に行きました。たまたまコンビニが開いていて、少しの飲料と菓子パンのようなもの、カットフルーツを買って来ました。普段あまり混んでいないそのコンビニが、レジで並ぶほど混んでいたそうです。その後私は寝てしまいます。よくよく考えると地震が起きるまでの睡眠時間は1時間ほど。2時間半ほどは眠れたでしょうか。起きると父は出勤していて、やっぱり行ったのかと。父は強い感じではないけど、やっぱり心強い存在。定時だと帰ってくるのは22時頃。父は今の時代では珍しく携帯・スマホを持っていないので、無事に職場に着けるのか、街灯も信号もついてない真っ暗な中で無事に帰って来られるのかとても不安でした。

 

午後は弟がトランプやウノ、花札を出してきたので母と私と弟の3人で時間つぶしに遊びました。またこのあたりからスマホの電波がかなり繋がりにくく、情報源はラジオだけでした。その後15時頃だったでしょうか。弟がたまたま繋がったスマホで市内の別の地区の電気が復旧したらしいという情報を得ました。そこで自転車でその地区の様子を見に行くと出かけました。この時も少し不安でした。弟もいないとなると、家には私と母の2人だけ。女だけは怖かった。弟が出ている間、私は家にある食料のリストを作っていました。幸いにも、乾麺やカップ麺が沢山あったので安心しました。また、優先して食べなければいけないものの順位づけもしていました。そうこうしているうちに、母の携帯に弟から電話が。市内のある通りより北側の信号がついていること。電波も通じること。ガソスタで長蛇の列ができていること。開いているコンビニの混雑。他地区の情報を沢山知ることができました。弟は穴場の自販機を教えてくれて、そこで水を手に入れられたことも良かったです。私の家から自転車で30分ほどの場所に弟は行っていたので帰ってきたときはホッとしました。

17時半頃だったと思います。なんと父が帰宅。父の職場も停電かつ断水で仕事にならないからと帰ってきました。日没前に父が帰ってきて安心しました。父に今までに得た情報を話して、他地区だとスマホの電波が繋がることを話すと、じゃあ車で行くか、と。母は夕食の準備のため家に残り、父と私と弟の3人で他地区方面に向かいました。私は地震が起きてから初めての外出。信号の点いていない交差点を通るのは怖かったです。そして弟の言うように、ある通りを越えると信号が点いていました。同時に電波も復活。ラインを返信したり、ツイッターを開いたりしました。オタ垢のフォロワーさんから無事ですか?というリプをいくつか頂いており、嬉しかったです。弟が自転車で行った穴場という自販機に再度行き、追加で水とお茶を数本手に入れました。道中では行列のガソスタ。混雑しているコンビニ。弟が言っていた光景を自分の目で見ました。家に帰る頃には日没。やはりある通りまでは街灯も信号も点いていましたが、そこを越えると真っ暗。普段通り慣れている場所なはずなのに、どこを走っているのか、どこで曲がれば良いのか一瞬わからなくなる暗さでした。無事家に着いて空を見上げるとたくさんの星が見えました。普段は明るい星しか見えません。こんなに星ってあるんだなと思いました。

夕食は冷凍庫に入れて解けかかっていた肉をキャベツと一緒に焼いたもの、残りご飯のチャーハン、塩もみきゅうり、味噌汁でした。早く食べた方が良いものの寄せ集めでしたが、ガスと水道が大丈夫だったおかげで普通のご飯を食べることができました。ライトのみの暗い中でのご飯。家族全員揃って食べることができてよかったです。

夕食後は何もすることがありませんでした。暗いのでまあ無理やり本は読めなくもないけどそういう気分にもなりません。スマホはほぼ不通だったのでラジオを聴きながら家族でなんとなく会話する感じでした。もちろんお風呂も入ることができないので、体拭きで拭きました。その日私の住む地域は汗をかくほどの暑さではなかったのが幸いです。やることもなくて、21時半頃にはそれぞれ寝室に行きました。枕元にはリュックや靴下、ライト、ラジオを置き、机の下にすぐ入れるよう机の椅子をよけておきました。ラジオをつけたまま寝ようとしましたが、なかなか眠れません。睡眠不足なはずなのに。寝かかっても余震で目が覚めの繰り返しでした。結局24時まで眠れずに、ラジオは桐山照史くんと中間淳太くんのレコメンが始まっていました。照史くんが「今大変なことがたくさんありますが、僕たちは普段通りやって楽しんでもらいたい」(ざっくりです)ということを言っていて救われました。レコメン中もウトウトしていましたが、エイトの「ここに」が流れてこれも救われました。スマホに音楽を入れていますが、充電が減ってしまうのでエイトやキンプリ*1の曲を聞けていませんでした。レコメンでだいぶ心が落ち着いたからか、徐々に眠くなっていき、何度か余震で目が覚めたものの、どうにか合計5時間ほどは眠れたかと思います。

 

 

9月7日朝からのこと。

朝食は残っていた焼きそばの生麺をサラダチキンと一緒に炒めて食べたのと、解けかっていた冷食の焼きおにぎりをフライパンで蒸し焼きにして食べました。焼きおにぎりはプライパン調理を想定してないものでしが、美味しく食べることができました。そして午前中はスマホの通信環境を求めるのも兼ねて買い物に出ました。まず、ドラッグストアとスーパーが隣接しているところに行きました。そこでは、停電の為店には入れず、店先で買い物をするという形式でした。ドラッグストアの方は風除室で必要なものを店員さんに言い、店員さんに持ってきてもらって会計するという形式でした。スーパーの方は売られているものがかなり限られており、飲み物とバナナ、カップ麺を買うことができました。個数制限もありました。次に市内の某駅前にあるスーパーに行きました。そこは、JR運休により駅前にあまり人が来ないため穴場でした。とはいえ、商品はそう多くはありません。アイスや冷食のコーナーは一同解凍されてしまったので割引の値段で販売されていました。道中、相変わらずガソスタは行列。ひどいところだと列は数百メートルになっているところもありました。幸い、父が地震前にたまたまガソリンを入れていて、通勤で少しは減っていましたが急を要していませんでした。ただ、いつ停電が終わるかわからない不安から、父もできれば給油したいと言っていました。買い物から帰ってきてお昼はパスタを茹でたのと、冷凍のハンバーグがかなり解けていたのでじっくり焼いて食べました。冷凍のものを食べることに追われている感じです。

夕方、父が車のテレビを見に行ったので私も行き一緒にテレビを見ていると、弟もやってきて「これから自転車で(電波のために)○○(他地区名)行く」と言いました。すると、父が「じゃあ車で行くか」ということで3人で急遽出発。ある交差点についたところでまた行列が。なんと停電している私の住む地区のガソスタが開いていたのです。最後尾まで走ると、他地区で見たガソスタの列よりも短かったので並ぶことにしました。流れも良く、15分ほどで給油することができました。給油にも制限があり1台2000円まででした。その後他地区まで走りラインを返信して、日没前に家に帰りました。徐々に復旧しているところが増えているという情報も入る中、どうしてこの辺りはまだなのか、市内の地区は復旧してるのに、と仕方のないことだとはわかっているけど思ってしまいました。7日の夕食は冷凍のホッケ、卵焼き、鍋で炊いたご飯、味噌汁でした。鍋で炊いたご飯が思いのほか美味しかったです。この日の夜も何もすることがなくて、なんとなく会話をしてちょこちょこ寝る準備をしていたところでした。外を見ると光が。弟が外に出て、「街灯も信号も点いてる!」と。プラグに異常がないかを確かめて、ブレーカーをあげました。部屋の電気がつきました。21時頃のことでした。ほぼ同時にスマホの回線も復活。ホッとしました。見れていなかったラインやツイッターのTLを確認しました。久しぶりにオタ垢も見れて自担たちの情報をこれでもかと知れたり、ジャニーズwebをゆっくり読んだりしました。そしてお風呂にも入れました。お湯に浸かれて疲れも少しだけ取れた気がします。電気の有難さを実感しました。リビングのテレビも見れて、まだまだ大変な思いをされている方がたくさんいると改めて気づきました。あと意外と気になったのが、ACジャパンのCMの多さです。おそらく企業がCMを自粛した分がACジャパンに差し替えになったと思うのですが、あんまり自粛しすぎるのも、被災地の人にとっては暗い気持ちになりしんどいのではないかと思いました。今までも震災が起きると自粛しすぎるのは良くないという意見を見たことがあります。自分が地震に遭うまでは特にそのことについて考えたことはありませんでしたが、今このような現実に直面して、やはり過剰な自粛はあまり良いものではないと個人的に感じています。

 

地震発生から停電復旧までのことをまとめました。長いですね。ここまで読んでくれてありがとうございます。もう少しだけ書かせてください。次からはこの地震で得たこと、伝えたいことをまとめます。

 

①日頃からの備えを大切にしよう!

地震は今のところ予知できませんし、いつどこで起きるかわかりません。家具の固定や懐中電灯(ペンライトも役に立ちます)、電池、ラジオ、日持ちする食料の用意が大切です。また近くの避難所を知っておくことも重要です。

 

②ラジオで情報を得よう!

テレビやスマホでも情報は得られますが、停電した場合や、回線がダメになった場合、使い物になりません。ラジオを普段聴く習慣がないという方も、災害時にはラジオがとても役に立ちます。

 

スマホの充電に気をつけよう!

充電を温存しましょう。通知オフや画面の明るさを暗くすること、低電力モードで充電の減りを遅くすることができます。それでも充電がいつかは切れてしまうのでモバイルバッテリーを用意しておきましょう。またノートパソコンや車でも充電できることがあります。日頃からノートパソコンを充電しておくといいと思います。

 

④デマに気をつけよう!

電気が復旧してからリア垢のTLを見るとやはりデマが流れていました。「自衛隊/NTT/北電の知り合いから聞いた話ですが〜」という言い回しのツイートにはお気をつけください。情報を拡散する際も出どころをしっかり確かめるようにしましょう。

 

 

伝えたいことはまだまだありますが、書ききれないので特に伝えたいことをピックアップしました。

私の住む市は品物不足があるもののライフラインは復旧し、今日(9月8日)は徐々に普通の生活に戻っています。しかし、まだまだ大変な思いをされている方が沢山います。そしてまだまだ余震も心配です。

 

 

自分の身に起きないと地震の怖さ、大変さはなかなか分からないと思います。自分もそうでした。それでも、このブログを読んでほんの少しでもいいから、地震について考えていただけたら私は嬉しいです。

 

 

*1:2021.2.25追記:当時一応オタクでした、今思えばただのミーハー

GR8EST札幌公演(2018.7.15)感想&盛大なネタバレ

 

近年エイトのツアーの札幌は初日ばかりで公開リハーサルだの揶揄されています(笑) ただ、色々あった今年はいつもとは異なり倍率が高かったようで不安でしたが、無事今年も自名義が当たったので入ってきました。

ツイッターの人気アカウントさんが既にネタバレをされているかと思うので速報性には欠けますが、自分の思ったこと感じたことをメモれた範囲で、備忘録も兼ねてつらつらとまとめていきます。

 
※以下、盛大なネタバレです。見たくない方はお戻りください。





○注意事項の映像
赤ちゃんがしゃべります。声の主はおそらくボイスチェンジャーをかけたメンバーの誰かです。誰がしゃべったかはわかりませんが、1か所噛んでました(笑)

○OP映像
メモってない…。モノクロのおしゃれな感じの映像でした。メンバー紹介のところで泣きました。やっぱりすばるはいない…。いやでも感じました。

○応答セヨ
すばるさんが参加した最後のシングルが1曲目か…と思いました。「屋根の~飽きもせず」は錦戸さん、「さあ早く~嘘になる前に」は丸山さんでした。これは今後の曲でも言えることなのですが、すばるさんのパートを誰かが引き継いでいるはずなのに、どこかすばるさんみを感じると言いますか…。本人らにその意図があったかはわからないんですけど、すばるさんに似せていたように感じました。

○錦戸さん挨拶
すばるさんがいない状況を歯の治療にたとえて話していたのが印象的でした。

○ここにしかない景色
2曲目に来るのは予想外でした。印象にあまり残っていないので曲名しかメモに書いていませんでした…。

○NOROSHI
私の確認できた限りでは、すばるさんのソロパートは錦戸さんが歌っていました。特に印象深いのは、「手のひらが 背に触れた」の部分で、鳥肌が立ちました。迫力がすごかったです。完全に自分のものにしているなと思いました。

○言ったじゃないか
丸山さんが「僕はみんなが好き~」と替えて歌っていたところで会場が沸いた記憶。あとメモ帳に「山田」と書いてあるので山田がいちゃついてたんだと思います(笑)

○なぐりガキBEAT
バンドで披露。「うつむいてた~かかるよ」までは錦戸さんでした。

○ココロ空モヨウ
「曇る天に~退屈さ」は安田さん、「そんな瞬間に~くれるんだ!!」は錦戸さんでした。曇る天に~のところの人選に納得した記憶。

○Heavenly Psycho
へぶんり入れてくるか…と思ったのが素直な感想。「いつも夢に~日々」は錦戸さん、「目の前の~届くまで」は安田さんでした。2番の「不安だって~」の部分メモってない…。最後のほうの、もともと気まずいの掛け合いだった部分は、ほほえみでした

○BJ
いやこの2曲はずるいわ…と感じました。「手を振り~眺め走る」は大倉さん、「引き裂いた~あの頃の僕に」は丸山さんでした。自担が引き継いだところは嬉しいような、悲しいような。すばるさんがもともと歌っていたところはどこも曲の中で重要な部分ですからね。

○横山さん煽り→ズッコケ男道
バンドで披露。メインボーカル横山爆誕でした。すばるさんのパートはおそらくすべて引き継いでいました。あとなぞにメモに「ヨコマル」という記載があるので何かしらの接触があったんだと思います。確か肩組んでたような…。

無責任ヒーロー(2018ver.)
なぜ曲名しか記載がないのだ私のメモよ…。このバージョンでも客席は普通に振り付けやってました。

○LIFE~目の前の向こうへ~
LIFEも入れてきたか…という感想です。今回は外すのかなと思っていました。出だしの「もう一切」は安田さんでした。以降、サビのすばるさんが歌っていた部分はすべて安田さんでした。「あの日~道は続いてく」は大倉さん、2番のメモが少ないですが、2番サビ前は丸山さんが一人で歌っていました。

○転換のため短めのトーク
ここまでがバンド形式でした。初日だからか、次に移るときにちょっとグダっていた記憶(笑)

○オモイダマ
7/6~7/8の生放送で歌った曲がまた入りました。「きっと不安に~」は丸山さん、「ありがとう大切な人へ」は次もそのまま歌う横山さん、「笑って泣いて~」も手前から歌ってた大倉さんだったと思います。大サビは安田さんで、やはり音域的に適任でした。「限界超えた~」もそのまま次を歌う横山さん。あと、もともと三馬鹿と年下組に分かれて歌うところは、安田さんがパート移動でヨコヒナと歌っていました。

○MC(適当にまとめます)
オモイダマを安田さんがなぜか略して「タマ」と言って横山さんか村上さんあたりに突っ込まれてた記憶(笑)
ここで安田さん着替えのため退席で、MCは休憩も兼ねてだと思いますがほぼいませんでした。
ここと同じタイミングでなぜか大倉さんにライトが当たっていなくて、「俺もいなくなっていいの?」という主旨のことを言っていました(笑)
サタプラでWマルちゃんの絡みの話。西郷どんの話。絶対零度の話。モンクリの話。(ここらへんで毎度のごとく拍手)
大倉さん「死ぬ役が多い」
ドラマの話から、村上さんの代表作は「ハクション大魔王」といったところで会場大爆笑。村上さんがめざましに出たときに思わず写メったという大倉さん。さらに、横山さんが「あれ歯着けてたの?」という主旨の質問。ここでも爆笑。
横山さんが大河の特番をやる際に、錦戸さんにそのことを報告しなくて、スタッフさんから聞いて驚いたという話。
ドラマの話から、台本の話へ。丸山さんがドラマはもちろん、バラでさえ台本を読み込むという話。メンバーからジャニ勉は読み込まなくていい、というツッコミで笑った(笑)本人曰く、ギャグをできるタイミングがないか見つけるために読み込むそうです(笑)またそれについて台本通りできたことないだろというツッコミも入りました。
絶対零度は2話でロマンスかも?という主旨の横山さんの発言から、「累-かさね-」の話へ。大倉さん「完全に重なってる」という発言で会場爆笑。
ここで丸山さん錦戸さん大倉さん着替えのため退席。
ヨコヒナのみとなり会場湧く。
キスシーンの話。(ここの前からリハでもするのか?みたいな話が出ていました)
村上さんのキスシーンについての質問に対して、横山さん「年上だから自分からいった」(累の撮影では)で、ジェスチャーでやって会場黄色い歓声。
横山さん「村上ビルというのを見るとあいつが買ったのかと思う」
サッカーW杯の話。
ヨコヒナ退席、退席してた3人が戻ってくる。
ここでもキスシーンの話。
丸山さん「監督による」自転車少年記で準備してたら相手側の事務所NGでフリですることになり、自分が「したがってるやつ」みたいになったという話。それ以来監督にどうなのか聞くようになったとのこと(笑) 個人的に、最初にエイトにハマったときが自転車少年記をやっていた年だったので、この話を聞けてとても嬉しかったです。
錦戸さん、大倉さんはともに本番だけとのこと。大倉さん「恥ずかしいから」
蜘蛛女のときに渡辺いっけいさんとする際に、演出家さんに「そろそろしようか」と言われたとのこと(笑) 大倉さん「(男の人とすることないから的な発言のあとに、)、あ、マルはあるか」 丸山さんまんざらでもない表情(笑)

○今
「彼方に~」「君の声~」は丸山さんでした。安田さんは抑えめに踊っていました。無理は全くしていません!ご安心ください!(ここ重要)

○へそ曲がり
すばるさんパートはこの曲も丸山さんが引き継いでいました。納得の人選。

○ER2
曲名しかメモってないですすみません…。おそらくこのときは自分のわりと近くに自担がいたのでそこを追うのに必死だったと思われます…。

○がむしゃら行進曲
「全ては偶然~」はその手前から歌っていた丸山さんがそのまま歌っていました。個人的には初がむしゃらだったので踊れて楽しかった!(去年は披露なし、それ以前の数年間は冷めてたので)

○村上さんによるバックバンドの紹介
この時点で次ユニットかソロくるなとなんとなく察しました。

○わたし鏡
キターーーーーーー。会場の歓声もすごかったです。何気に私も初わたし鏡でした。最後の「はよ逢いたい」を「はよ逢いたかった」に変えて歌っていてここでも歓声が沸きました。

○torn
これも歓声がすごかった…。個人的に8EST以来2回目のtornでしたが、1回目のときは曲の存在しか知らない状態で見たので余裕がありませんでしたが、今回は要所要所しっかり双眼鏡で追うことができました。

○パンぱんだ
キターーーーーーーーーーーーーー!!!わたし鏡、tornという流れでじゃあ自担は?ソロ?はたまたゆーきゃんしー?パンぱんだ?と候補を考えていましたが、パンぱんだでした。こちらも生で見るのは2回目。1度目はその年も札幌で初日だったためダンスは見るだけでしたが、今年は振り付けもできて大満足!最後の「みんなおやすみパーーーーン!!」をできたのも幸せでした。

○LOVE&KING
なにげに初のタカツキングでした。(過去にタカツキングを披露してたツアーは冷め期だったので)タカツキング楽しいですね!!途中から錦戸さん大倉さんがバックダンサーとして登場していました。

○映像(おそらく回替わり)
安田さんがトランプマンに扮しています。
メンバーが2人選ばれてお題にそったことをします。
この回は村上さん丸山さんが「ないしょだけどゴリラになる」というお題でした。会場爆笑。
で、取れ高勝者と敗者を決めます。敗者は村上さんでした。メンバーの誰かが「相手が悪い」と言ってました(笑)それくらい丸山さんの動きは強烈でした(笑)
そして敗者は謎の黒い箱に入らされて何かの罰ゲームを受けるのですが、罰ゲームがなんなのかはわかりません。

○ひびき
これも曲名しか書いていないです…。確かメンステで足元にドライアイスだったはずです。

○涙の答え
「君のいない~なっていったんだね」は丸山さんでした。

○キング オブ 男!
キン男も入れたか…と思いました。気まずいのパートは錦戸さんのソロになっていました。

○罪と夏
「マジだぜ」は錦戸さんでした。(この辺メモがかなり適当です)

○CloveR
メモ帳に「ヤス」とだけ書いてあるのでおそらくどこかのパートが安田さん引き継ぎだったんだと思います。

○前向きスクリーム!
丸山さんの「同じ阿呆なら~」のセリフは「札幌ぽろぽろぽろっぽろ」でした(笑)

○挨拶(印象的なところしかメモれていないので簡単にまとめます)
横山さん「あいつには負けない」
丸山さん「早くこの日が来てほしい」一方で、「1~2割怖いという気持ち」
大倉さん「(札幌来たいという人が)いつもより多かったと聞いた」
錦戸さん「言いたいことは1曲目の次に言った」「(最初で歯の治療で例えた話について、すばるくんを)むし歯って意味で言ったわけじゃない」
安田さん「地元の方もありがとうございます」(個人的にうれしかったからまとめに入れました。私は地元民大事と思っているので)「重たくとってほしいわけじゃないけど、病を患ってよかった」(←人の痛みがわかるようになったからみたいな感じでした)
村上さん「このメンバーだからこそしょっていける」「(札幌は悪天候などがあるなかの初日が多いから申し訳ない的な主旨の発言後)つらいスタートについてきてくれてありがとうございます」
全員の挨拶なんて初日の札幌じゃ聞けないのにやっぱり今回は特別だなと感じました。こんなざっくりとしかまとめられませんでしたが、本当に全員いいこと言ってたんです…。

○大阪ロマネスク(2018ver.)
ここで歌うのは流れで予想できていましたが、歌割はまったくもって予想外でした。
出だしのすばるさんパートは全員で、最善の選択だと思いました。
「あの日の~梅田駅」は大倉さん、「この街の~言うから」は村上さん、「難波の~信じてた」は丸山さん、「僕のこの胸は~好きやねん」は横山さん、「振り向いた~止まっていく」は安田さん、というまさかのソロを振り分けていました。錦戸さんは従来通りのパートで、結果的に全員にソロが振られる形でした。あと、最後のフェイクは安田さんでした。
まさかこんな形のロマネスクになるとはと思いました。実は私自身、久しぶりのロマネスクで(おそらく8EST以来)こんな形でロマネスクを聞くことになるとは思ってもいませんでした。
ここまで本編です。

○Sweet Parade
○パノラマ
○あおっぱな
すみませんこの3曲はメンバーを追うのに必死で曲名しかメモできていません!

○安田さん挨拶→新曲「ここに」
「あのですねー 楽しかったってことを言っておきます」という回りくどい言い方で大倉さんあたりにツッコまれた記憶(笑)
「ここでみなさんにお知らせがあります」(ニュアンス)改まっていうもんだから会場に緊張が走りましたし、私もちょっと怖かったですが、ニューシングル発売のお知らせでした。で、大倉さんが「ここに」と曲振りをしたんですが、滑舌と音響の問題で私の周りで多くの方が「え??????」って言っていました(笑)私も結果的には合っていましたが終演後ネットで確認するまで聞き取りに自信がありませんでした(笑)
「ここに」は安田さんメインの曲でした。曲については聞くので精一杯でメモれてないです!すみません!
んで最後にいつものやつをやって(適当)、終わりました。



こんなにいいライブになるとは思っていませんでした。始まるまでずっと不安で仕方がなかったんですが、始まるとその不安は杞憂で思いっきり楽しめました。あと、すばるさんのことを触れてはいけないものとして扱っていなかったのが本当に良かった。今後入る方の中には不安に思ってる方もたくさんいらっしゃると思うけど、大丈夫です。観た後はきっと私のようにもっと関ジャニ∞が好きになっているはずです。なので楽しみにしていてほしいです。

今後も私は関ジャニ∞についていきます。